坂井が今回携わったのは、『日本不動産鑑定士協会連合会』が行っている
被災地支援活動『住宅被害認定調査』になります。
『住宅被害認定調査』は、
地震などの災害により被害を受けた住宅を調査し区分別けするものです。
この調査の方法は内閣府により定められており、
自治体の職員や、市町村から依頼を受けた専門の調査員が行います。
皆様ご存知の『罹災証明書』は、この調査に基づき発行されております。
『罹災証明書』が無ければ給付金や税金の免除、応急仮設住宅の入居など
各種支援が受けられないため、迅速な対応が必要となってきます。
崖崩れや水害など災害によって調査のやり方は異なりますが
今回の能登半島地震による災害では、
全国から派遣された地方公務員さんなどによるがんばりで、
一次調査は早い段階で終えることができました。
繰り返しますが一次調査は迅速な対応となります。
そのため、外観だけの判断となります。
この一次調査の判定に対して納得いかない場合、
再調査(二次調査)の運びとなり、
その際は専門員が家屋の中まで入って調査を行います。
今回坂井が携わったのはこの二次調査からになります。
「被害の程度」は次の7区分に別れております。
「全壊」「大規模半壊」「中規模半壊」「半壊」
「準半壊」「準半壊に至らない(一部損壊)」「無被害」。
これらは経済的被害の全体に占める割合に応じているそうです。
その関係で区分によって給付内容が変わります。
※区分による給付や支援は災害の大きさや地域によって異なります
給付内容が変わるのですから、その後の生活がかかっていますので
より給付の多い判定を望まれていると思います。
調査する側としては、
設定された基準を元に正確に【平等】にやらなくてはなりません。
今回の災害支援の調査で坂井が一番強く感じたことは、当にこの
「平等にやるのが難しい」というところでした。
(この投稿のタイトルに繋がります。)
二次調査に納得ができない場合、三次調査、四次調査となっていきます。
住民の方も、その後の生活をかけ、切実な想いで再申請を申し込まれます。
できることなら、より給付の多い判定をしてあげたい。
しかし、調査員として決められた基準に準じて的確に判定しないとならないため
希望を叶えてあげることができない場面もありました。
そのため、心の葛藤を強く感じたそうです。
「もっと、住民の方に納得いただけるような調査基準と
調査体勢の確立があったら・・・!」
これは、今回の震災の復興支援における課題と捉えております。
住民の方に納得いただけるような調査基準と調査体勢の確立
この課題が、未来へ繋がればと坂井は思います。
この章は一旦ここで区切り、
能登半島地震の復興支援に携わって③ 未来へ ~今後の自然災害に備えて~
に続きます。
ここからは支援員環境の話で余談になります。
お時間ある方はお付き合い下さい。
通常、1件の家屋を調査するのにかかる時間は1~2時間ですが、
能登半島は報道もされておりますように古い日本家屋が多いため、
増築している場合は図面をフリーハンドで書くところからのスタートになります。
そのため、1件の家屋を調査するのに半日かかるケースもありました。
気候においては日本海のため静岡よりやや多湿。
6月~8月の熱くて湿度の高い環境の中、
エアコンの効いていない風通しの悪い家屋に入って調査をします。
服装は、安全のためにヘルメット装着と長袖長ズボンの完全防備。
そのため、熱中症など体調不良に注意しなくてはなりません。
空調服は必須でした。
また、半壊した家屋の中での調査ですので、危険も伴います。
足下や天井、十分な注意を払います。
一部の危険な家屋において、ここでドローンが活躍したという報道を見ました。
そして交通網について。
坂井が主に出向したのは能登半島先端の珠洲市。
その風景は「全然復興は進んでいない」その一言に尽きたそうです。
倒壊したままの建物や寸断され通行止めとなっている道路が多く見られました。
坂井含む支援員の宿泊施設は、珠洲市から35km程離れた能登町でした。
災害後、数ヶ月は能登町から珠洲市まで車で1時間ほどかかったそうですが
坂井が行った6月には道路整備が進み、大きな道は通れるようになっており、
車で片道30~40分くらいだったそうです。
続きまして支援員の宿泊施設について。
とある建物内にあるお部屋にベッドを運び入れて宿泊できるようにした
仮設の宿泊施設です。
震災直後、自治体の職員さんが一生懸命作って下さった部屋と思います。
エアコンの無い部屋も多くありました。
熱帯夜でなかなか日中の疲れが癒えないまま翌朝を迎え、
レンタカーを運転し35km離れた珠洲市へまで移動して調査し
また能登町まで戻る
といった毎日だったそうです。
避難所生活をされている方もまた、エアコンが無いことが予想されます。
家屋の整理を行いながらこの条件で日々の生活をされている方々を思うと、
支援員は一時的な環境であるため、弱音を吐けませんでした。
夜はミーティングにて、復興支援について熱く語ることで、
暑さや疲れを振り払い、
時には皆で歌を歌ったりして
モチベーションを上げていたそうです。
そして神様からのご褒美か、ここで奇跡的な再会が待っておりました。
なんと、ミーティングにて大阪時代にお世話になった先輩と約10年ぶりの再会をしたのです。
シャイな坂井を優しく包み込んでくれるようなお人柄の先輩で、
仕事に関わるお話も聞くことができ、非常に貴重な時間となったそうです。
普段はタフな坂井ですが、今回ばかりは身も心も疲れ切り、心細さも感じていたそうで、
先輩と再開して大変気持ちが和らいだそうです。
先輩に深く感謝申し上げます。
坂井を支えて下さりありがとうございました。